ヒュー・ジャックマンが歌って踊るミュージカルムービー!
上質ポップでめちゃくちゃカッコ良く、とってもエンターテインメントな仕上がり。ザック・エフロンでなくともゼンデイヤに恋をするよね。美の権化かよ。
こんな音楽と映像にさらされながら2時間もうっとりできるの、最高オブ最高なので、みんなも映画館に行くといいです。
どんな映画?
本国と日本版の予告編が字幕以外はほとんど同じなのって珍しくないですか?たぶんなにか意味があるのでしょうね。
とりあえず字幕のない本国版がFHD画質だったので、そちらをどうぞ。
ヒュー・ジャックマンは、この映画を企画してから作るまでに7年かかったっていうんですけど、私は逆に、たった7年?って思いました。
人気のブロードウェイ演目の映画化とかじゃあないんですよ。こんな映画7年で作れちゃうんですね…ほんとハリウッドってすげーやって思う。最高ですよ。最高。
導入部分のあらすじを説明しますね。
ヒュー・ジャックマン演じるところのPTバーナムは貧しい生まれ。子ども時代、父親の仕事につきそい、裕福な家に出向く。その家で、ティータイムのマナーをレッスン中の娘と出会った。ふたりは離れ離れに成長するも、愛を育み続け、やがて結婚する。
もーここだけで物語として成立してるじゃないですか?
上流階級と貧民の子の恋が実るんですよ。ハッピーエンドじゃないですか。でもこの映画は、ここから始まります。まだ導入。
なんだそれ超やべーな!ってなるわけですよ。
そしてこの映画は、19世紀のアメリカに実在した興行師の生涯をモデルにしている。
と、しながらも。
伝記的、歴史的なリアリティーみたいなものは、意図的に置き去りにされていると思われます。なにせ物語の核をなすキャラクターが架空だったりするので。
主人公であるバーナムは、どうやら善人とは言い切れません。愛情深く、アイデアマンですが、傲慢な自信家でもあり、他人の気持ちにやや鈍感。常に明るい夢を語り、好奇心にあふれ、挑戦を好みますが、ときどきすごく根に持つタイプでもある。とても人間らしいのですが、行動が一貫していないようにも観えてしまうため、頭をからっぽにして感情移入しやすいキャラクターとはちょっと言い難い。
ノンフィクションではないし、有名ではあるけれど、偉業でも偉人でもない。
じゃあこの作品はいったい何を描いているのか?などと言い出すと、観る人によって答えが違って見えるところなのかも知れませんね。
たのしいね!
話が長いので、公式サントラ動画など聴きながらどうぞ▼
ポリティカルコレクトネスって最近よく聞きませんか。政治的正しさ。
例えばキャスティングに際し、人種の割合とかに配慮しなきゃいけないやつ。ああいうのね、私はね、そりゃけっこうなことだなと思うんですよ、思うんですけどね、必須には、しないで欲しいと思ってる派。
あらゆる表現が許容されている上で、この作品ではそのような点に配慮しましたっていうんだったら素晴らしい。でもそうじゃない表現を否定してまで、追求することには疑問があるわけですよ。今の正しさって、今だけのもので、その価値観がずっと続くわけではないから。それに有り様の正しさを突き詰めていったら、いつか演劇なんかなくなっちゃうんじゃないですかね。だってどうしたって現実の二番煎じ以下にしかならないもん。そういうわけで、必須にはしないで欲しい。
ほんとはこんな話はどうでもいいと思ってるんですけど。なんでどうでもいい話をわざわざしたかっていうと、私は「グレイテストショーマン」に、ポリコレを含む政治的配慮、世論、社会的慣習、社会や個人のレベルに根付く偏見や差別への、新しい挑戦の息吹を感じたからです。
上質の極み!
本作ではミュージカル仕立てで、出演している俳優やスタッフはもちろん、本作のために用意された歌とダンスは、当代の最高級水準です。だから、それらを楽しめるだけでも本作の価値は揺るぎないものだと思います。
バーナムという人の人生の挫折と栄光の物語に、サーカス的ショービジネスがマイノリティの自己肯定や職業的役割を与えたといった側面がわかりやすく添えられています。
それぞれはたぶん、そこまで重視されてないんですよ。
だって21世紀になってから20年近くも過ぎた現在、改めて語られるようなこととは思えませんもの。実現されているかどうかは別にして、思想としてはすっかり共有されてる。だから重要なのはもっと別のこと、あるいはそれらを複合的に捉えてはじめて観えてくるようなことでしょう。
こういったことをすっかり享受した上で、私はわざわざ他のことを書くことにする。
だって他のことでもすごいと思ったから。
そしてこれは自分のブログだから!
解説:挑戦の映画だ!
さてここからが本題。
この映画には、実在のモデルがいる人物が主人公の他にもいます。
何度か出番がある、でも観る人にはそんなに注目されなさそうなキャラクターで、ポール・スパークス演じるベネット記者なんですけど。
彼はニューヨークの新聞に寄稿するような評論家なんですが、序盤から終盤まで、バーナムと対立してるんですよ。彼が主人公と対立しているおかげで、視聴者は主人公側に移入していられるのだと思ったんです。
ベネットは、バーナムのショーは嘘ばかりの偽物だって言うんですよ。実際主人公は、誇大広告も辞さない姿勢で興行に取り組むし、見世物として集めているマイノリティたちに特別な配慮があるわけではない。一般的な良識を備えた視聴者だったら応援しにくいところがある。
そこへ、ベネット記者がムスッとした顔で、正論?を叩き込んできやがるので、すなおにがんばれバーナム!って思えるわけです。映画を見る人は、ベネット記者のおかげで、映画の中でバーナムのショーを楽しむサーカスの観客と同じ立場で映画を観られる。これ意図的な構造だと思うんですよね。注目されていなさそうだけど、無視できない役割を果たしているなと思いました。
で、この「評論家に受けが悪いショー」っていう部分は皮肉が効いてて。
『グレイテストショーマン』も本国アメリカでは評論家やレビューサイトのウケが悪く、初週の興行成績が奮わなかったそう。ところが観客のポジティブな口コミが広がり、2週め3週めに成績を盛り返して、大きなヒットになっていったという…!
それって映画の話じゃん?いや映画の話なんだけど!
映画の中では大して注目されているようには思えなかったこの、評論家には嫌われたけれども大衆には支持されたという流れはきっと本当に重要で。19世紀にはまだまだ上流階級が嗜むものとされていた舞台芸術や演劇、音楽を、大衆が楽しめるものとして提供したことは史実のバーナムとしての評価につながっていることなのだそうです。
権威を代表しているかのようなベネットが映画を通じて態度を変化させていく様子も、本作で押さえておくべきポイントのひとつといってよいのではないでしょうか。
バーナムの人生は、貧富の壁を乗り越えようとする物語として始まりました。バーナムのショーに集まった人々は身体的人種的な壁の象徴のように見えました。そして添えられた評論家の視線は、芸術や権威の壁であり、代替的に社交界と大衆文化の壁でもありました。もっと個別なことに目を向ければ、親と子、教育、ジェンダー、いじめなど、様々な壁の存在が映画の中にいくつも見つかります。
ひとつひとつ見ればセンシティブであり、注目すればセンセーショナルにもなりうるそれらの壁。一手に内包しているにも関わらず、本作では、どれかひとつにしぼって特別に扱ったり、明確に語るようなことはしていません。これはおそらく絶対に、意図的な構造だというふうに思いました。
なんでこんなふうに意図的に…というところまで考えると、動物保護団体の抗議に従った結果、経営を悪化させて解散したリングリングサーカスに思いを馳せたりして、軽く震えたりしますね!ここでは多くは語りませんが!!!2017年のはじめに解散を発表したリングリングサーカス、そして2017年末に公開された本作の間に、運命めいたものを感じ!!!ませんか!!!!!
本作では、さまざまな問題を明確にしていないからといって、不明瞭にはしていません。小人症をポジティブな個性としてスクリーンに登場させることが、ポリコレ的に適切とは思いにくいですよね。批判されるリスクを懸念しないわけがないです。わざわざやってます。そしてわざわざやったことを、特別なこととしては扱っていないのです。
当たり前にある壁を、当たり前に存在させている。映画の中でも、外でも。
2017年末公開のタイミングでこのようなチャレンジを実現させた手段としては、考えうる限り最高峰の水準で実現しているのではないかという気がします。これを挑戦といわずになんと呼ぶのでしょう。ブラビッシモ!
あらゆる社会的ハリウッド的問題提起に真っ向から挑み、その先へ突き抜けている。
『グレイテストショーマン』は、あらゆる問題が変わらず存在するけれども、それでもなお素晴らしいものはただ素晴らしいのだということを、すげえ音楽とダンスで実感させてくれるだけの、すごいムービーですよ。
バーナムの挫折と復興、そして愛の物語、ありきたりに見える人類讃歌的なテーマは、ヒツジの皮なんです。ミュージカル一本でゴリゴリに武装して、バッキバキにチャレンジングなエンターテインメント狼だなと思いました。
はやくみんなも本編で味わうと良いです。
もう味わった人は握手握手!
感想:マイ・フェイバリット・ポイント
私がこの映画でいちばん気に入ったのは、冒頭の子ども時代に心を通わせたビーチに、終盤しれっと戻ってくるところです。
私は伏線大好き人間ですけど、伏線のために用意された伏線みたいな露骨なものより、あっそういえばこれはあれだ、ここはあそこだ、みたいなほのめかし、リフレイン的な描写の回収にこそ、美を感じます。
それから、予告編で流れていた時にクライマックスっぽそうだなと思っていたシーンが、映画本編のいっちばん最初に観られること。「こういうのを観に来た」が最初に担保されてるんですよね。出し惜しみなし。そこから始まる。
もー、もー、大好きな映画!
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