これはなに?
大河ドラマ『直虎』の第42話「長篠に立てる柵」を観ての感想です。
日本史の知識が「真田丸」で出来ている私が、「直虎」を観ながら思ったことを適当に書く6回目。
ちゃんとしたあらすじは、NHKの公式サイトを観てね。
ここ数回と同じく物語の舞台としては天正3年を維持しましたが、ついにあの有名な「長篠の戦い」が行われたことで歴史が大きく動いた気がしますね。井伊家としても、菅田将暉万千代がいよいよ草履番からアベサダヲ家康のお気に入りの小姓に取り立てられるのか?という機運が高まってきました。
井伊家のことではないですが、井伊谷を治める近藤殿にも、中野直之と奥山六左衛門の木の切り出しスキルに寄って褒美にの茶器を得るというイベントが発生しました。
龍潭寺が所有する文化財の紹介ページを観てみたところ、あの茶器は現存するみたいですよ~すごい。
どんなもの?
まずはいつも、主な登場人物の実年齢を確認してみましょう~といきたいところなんですが。前回と一緒なんですよね。
とりあえず信長様の年齢でもチェックしてみましょうか。ついでに近藤殿も並べてみよう。
●天正3年(1575年)頃
・井伊直虎:40歳
・井伊万千代(虎松):15歳
・小野万福(亥之助):17歳
・近藤康用:59歳
・徳川家康:33歳
・本多正信:38歳
・織田信長:42歳
・真田信繁:9歳
信長は、生まれの1534年を数えの1歳とすると、42話で42歳といったところでしょうか。
直虎と年齢が近いんですね~。
近藤殿はなんともう、還暦間近。
当時の寿命を考えると、かなりのご高齢の扱いではないかと察しますがどうか。
たのしいね!
ひのもといちの留守居を命じられた万千代。
開き直って、草履棚の改良や備蓄武具の手入れに励んじゃいます。
手入れへの執拗なこだわりに、万福も付き合って手伝いますよ~!
めっちゃがんばってるよね万福。
あと今回は、六角ノッブもいいやつかなってみんな思ったよね。それにしても本多正信のことちゃんとノブって呼んであげてるの万福だけだよね。
さて、家康が出陣した長篠。
すでに援軍の織田軍が、信長の戦略による陣の普請を始めているという。
家康より先に信長に面会している信康殿。
贈り物の茶器の受取を拒否するやりとりとかがなんだか妙に不穏です。
海老蔵の信長様は、さすが雰囲気がすごい。
ちゃんと異様で、こわくて、衣装がかっこいい。
信長が動いてしゃべってるのなんか誰も観たことないはずなのに、な~んか、そんなふうにしゃべってたんだろうな~みたいな。妄想モノマネ、できちゃう感じですよね。
去年の真田丸の吉田鋼太郎信長は、同じ魔王でも仁王とか羅っぽい、ひと目でゾッとする系だったけど、今年の直虎の海老蔵信長は、インテリヤクザというか。みればみるほどゾワゾワする系ですね。どっちも魅力あります。
徳川方として、普請に参加している近藤家の之の字殿。
丸田が足りないと聞いて、現地調達のお役目を買って出ます。
誘われて六座もがんばったよ。
その活躍が信長の耳に入ってしまったようで、戦いの後、ふたりは信長に呼び出されます。まじか!
この面会シーンの顔芸、面白かったね。信長が食べていたお菓子っぽいものはなんでしょうか。たいへん気になります。おいしそう。
それでもってふたりの主君である近藤殿には、信長から褒美の茶器が贈られる。「けんさんてんもく」と呼ばれる名茶器らしいですね。
近藤殿は徳川様の頭を通り越してもらうには恐れ多すぎる、と、びびっちゃって龍潭寺に寄進することにします。
茶器をべたべたさわりながら、しげしげと眺める直虎。
城一城に値する茶器と言われ、びびっちゃう直虎。
久しぶりの読経シーンもありましたね。
長篠の戦いで勝利を納め、兵を進めた家康。
補給で届いた備蓄の武具の手入れが、いつもよりも格段に行き届いていることに気がついてしまったようです。まじか!
もしやと思って万千代を寝所に呼び出す家康。
まさかと思ってふんどしを締め直し、とっておきの着物で寝所に向かう万千代。
ひびく雷鳴、ピシャーン!
つ、づ、く。
<42話の個人的なハイライト>
①織田信長から茶器を受け取らなかったことを優雅に語る信康さんまわりのシーンに、すげえ不安を覚えました。なんでかな? 演出なんか特別なことしてる?
②明智光秀ってもう出た?
③徳川方石川和正殿がしきりにペコリペコリしてたのが気になるんだけど、理由がよくわからない。何かの伏線だろうか。おもしろそう。奥平って名前しか出てきてないよね?
④近藤家って家臣もみんなモミアゲすごいよね?
⑤戦場で本多忠勝が本多忠勝みたいなことしてて、ほっこりした。
<個人的な学び>
①長篠の戦いは織田軍が鉄砲戦術で武田軍の騎馬隊を破ったってことばかり覚えてたけど、徳川領の長篠城が攻められたことに応じる戦いで、つまりメインは徳川対武田だったってことを初めて知った。
②「三段構えの鉄砲戦術」も有名だし中学の歴史の先生とかがハフハフしながら絵に書いて説明してくれた気がするけど、現在の研究では「そんなのなかった」って話らしい。明治以前の資料がないらしい、フフ。
大河たのしいね!なかよし