これはなに?
大河「西郷どん」の感想。
画像は第三話のヒーロー、竜雷太調所(ずしょ)さま。
<マイあらすじ>
下級武士である西郷家の暮らしは、変わらず貧しかった。
家族が体調を崩しても医者に診てもらう余裕もないので、吉之助は父、吉兵衛と共に、商人のところへお金を借りに行く。親子ダブル土下座の甲斐あって、100両の大金を貸してもらった。
親子は、そのお金でお米を大量に買う。お米を使用人の熊吉の実家にも届けてやることにする。
そんな衝動的なお金の使い方で大丈夫か…?と、全国の視聴者が心配になったことだろう。「生活は楽にならず、返済は明治維新のあとも続いた」とのナレーション、案の定だった。
米を届けに行った熊吉の実家では、土地を失った侍の子、半次郎とその家族と出会う。「おいどんがなんとかすっで」と吉之助が請け負って、生活苦から夜逃げしようとするところを踏みとどまらせる。この時代、夜逃げはバレたら重罪なのである。
そんな吉之助が頼るのは、赤山様。いちどは断るも、吉之助と正助に食い下がられて「わかった、わしがどうにかすっで…」と答える赤山様。
そんな「どげんかすっで」の連鎖で大丈夫か???
薩摩ではこのように、百姓も侍も困窮している。皆の頼みの綱で希望の星は、江戸に暮らす斉彬様。
藩主名代の座を奪われた斉彬は、島津家が秘密裏に行っている密貿易などを幕府に報告した。幕府の力を借りて父である島津斉興(なりおき)を失脚させようというのだ。
幕府の老中、阿部正弘が呼びつけた調所広郷(ずしょひろさと)は、島津家の家老。薩摩藩の違反について問い詰められると、すべて自分ひとりでやったことだと主張し、その晩、服毒自殺した。
知らせを受けた薩摩藩主斉興は、調所は斉彬に殺されたのだと憤慨。側室由羅の暗殺計画の噂への処断と合わせて、斉彬派の粛清に踏み切った。
次々と処罰される斉彬派と思しき家臣。
吉之助たちが頼る赤山様にも、切腹が言い渡された…。
どんなもの?
嘉永元年(1848年)のみんなの数え歳!
●西郷小吉:21歳
●大久保正助:19歳
●島津斉彬:40歳
●調所広郷:74歳
●阿部正弘:31歳
調所様は74歳、なかなか長生きだったんですね~。 調べたら調所様が亡くなったのは旧暦の12月で、西暦に直すと年が明けて1849年1月なんですけど。だいたいの感じで合わせました。
あとは斉彬と並んだ藤木直人の阿部正弘があまりに若く見えるので、役職は上なのにどんなもんかと思ったんですけど。実際に年齢は10歳くらい若かったみたいで、なるほどなるほどと思いました。
たのしいね!
50万両をぽんぽんないないした疑惑で、前回まではあんなに悪代官ぷりだった調所様。今回は、島津のお家を守るために自らを犠牲にする最期を遂げた。も~すっかり忠臣って感じで良い人に思えてしまって。私ちょろい。
調所は立場上、斉彬に敵対するような形で死んでいきましたが、斉彬が生まれたときに家臣みんなで喜んだ話を通じて、これからの斉彬に待ち受ける苦難を心配している様子でもありましたよね~。ずるい~~~。
そして、沢村一樹がもう物語から退場してしまいそうな様子。さびしい限りです。。。
<ここがぐっと来た>
●半次郎に棒で襲われても、左腕だけで対応する鈴木亮平。
●調所広郷と斉彬との会話で、お世継ぎ(斉彬)が生まれた日に飲んだ酒ほどうまかった酒はない、と述べたシーン。
●調所の死を聞き、月を見上げて酒を煽る渡辺謙
●西郷どん公式SNSに紹介されていた、竜雷太が「謙ちゃん写真撮ろうよ!」と声を掛けて撮ったというツーショット。
なんと、ほぼ30年ぶりの共演!
— 大河ドラマ「西郷どん」 (@nhk_segodon) 2018年1月19日
1987年の大河ドラマ「#独眼竜政宗」以来
ということで、「謙ちゃん、写真撮ろうよ」
と竜さん。
最高の笑顔でごわす。#大河ドラマ #西郷どん#渡辺謙 #島津斉彬#竜雷太 #調所広郷 pic.twitter.com/lngihQ8k8N
大河たのしいね、なかよし