これはなに?
なかよしが、クリスマスになるたび思いだしたり考えたりすること。
写真は池袋のサンシャイン水族館のカフェの限定メニュー。
どんなもの?
たまにはちょっと昔の話とか。
個人的な話も面白いのでは?と思うので書いてみました。
たのしいね!
なかよしさんは小さい頃、日本には住んでいませんでした。
テレビや新聞で知らされるようなことを、ずっと遠くから、半日とか数日とか、数ヶ月おくれでひとごとのようにして育った私は、すっかり大人になった今でも、そんな気分で自分の暮らしを眺めてしまっていることがあります。
あの頃の身近には何があったかっていうと、例えばこの季節、12月にもなれば街はすっっかりクリスマスムード。
ツリーが飾られていましたし、もうすこししたらカウントダウンではしゃぐ声が、近所から聞こえて来るわけです。
ま、現代の都市での暮らしなんて、どこの国にいたって大差ない部分では大差ないのだろうと思います。
違う部分をみれば違うかも知れませんが、同じ部分を見れば同じなんです。
でもそんなの、日本にいたってそうでしょ?
おぞうにのもちは、四角いかもしれないし、丸いかもしれない。味噌味でにごっているかもしれない。あんこが入っているかも知れない。
違う部分は違うし、同じ部分は同じです。
私がいたところで日本と違うところといえば、例えばその国で主流の宗教は、イスラム教でした。過半数がイスラム教徒で占められている国。
ここで、さっきと同じことを書きますね。
あの頃の身近には何があったかっていうと、例えばこの季節、12月にもなれば街はすっっかりクリスマスムード。
ツリーが飾られていましたし、もうすこししたらカウントダウンではしゃぐ声が、近所から聞こえて来るわけです。
もしかして、意味が違って来ませんか?
毎日毎日、地域の各所に設置されたスピーカーからは朝夕に大音量でコーランが鳴り響いていましたし、現地の人は熱心に日々の礼拝をしていました。決まった季節になれば断食も。
そんな中でも、街を車で走れば、たまには十字架の建物も見かけました。毎週日曜にはミサも行われていたことでしょう。
別にキリスト教やそのイベントだけ守られていたわけではなく、仏像だってあるところには堂々とありましたし、他の宗教的思想的モニュメントだってあったことでしょう。
私たち人間は、ふだん目にするもの、同じ文脈に添えられたものに、まったく影響されずに世界を理解することは出来ません。
でも私たちはついつい思い込んじゃう。いろんなことを。そして許せたり許せなかったり、騙したり騙そうとしたりしていることでしょう。
私やあなたにできることは、自分の見ている世界はとても限られているし、誰かから何かからの影響を強く受けているんだ、ということを日々の自覚として持つことかなと、思います。でもきっと、そういうことの積み重ねがすべてでは?
日本だから、世界では、イスラム教だと、クリスマスには、正月が来ると。
たぶんどこにもたったひとつの当たり前のことなんかないんです。
私たちの頑固な物差しが、すこしでも真実を見失いますように。
よくわからない願いを込めて、書きました。
これは寛容であって欲しいということかもしれないし、でもそうでないことにはとことん不寛容であって欲しい、みたいなことでもあるかもしれない。伝わります?
何かを知ったと思ったら、怒ったり嘆いたりする前に、そうじゃない立場について想像してみてね。うれしいときもまあ、できたらそうしてね。そしたら世界が、すこしは丸くなるかもね。
残り数日の2017年を、引き続きお楽しみくださいませ。
メリークリスマス!
この記事を書いたのは?なかよし