#たのしいね

ボードゲーム作家2人が、日頃の楽しかったことばかりを書いておくので、何かの参考にしていただければ幸いです。ボードゲームの話題は「#ボードゲームたのしいね」に書きます。

『百人一首』 というボードゲームをあそんでみた話。

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おそらく日本の誰もが一度は触れたことのあるゲームでありながらも、おとなになってからやったことのある人となるとすごく限られそう。

そんな百人一首について、このブログであつかっている他のボードゲームと同じようなノリで書いてみました。

どんなもの?

短歌の上の句と下の句がすべて書かれた読み札と、下の句だけが書かれた取り札が100組ある。読み手が読んだ読み札に対応する下の句を取り手が早い者勝ちで取得し、それをなるべくたくさん集めた人が勝利するゲーム。

鎌倉の歌人藤原定家が小倉山で選んだ100句、通称「小倉百人一首」が現在もっとも普及しているエディションであり、競技化もされている。ちなみに全日本がかるた協会が公称する競技人口は100万人。

競技においては2人で対戦する個人戦の形式が多いが、一般的な遊びとしては玩具としての50音カルタのように1人の読み手と何人かの取り手に分かれ、読まれている札を探すようにして遊ぶ。

たのしいね!

まだ「遊び」や「ルール」が消耗品になる遥か以前から親しまれている百人一首
久しぶりにプレイしてみたら、本当に優雅で教養あふれる遊戯だなと思った。

たぶん中学生の頃にやったきりで、さすがに忘れている句ばかりだけど、断片的に覚えている句の音や意味が、かつての教室の空気とともに急に想起されたりして。
そういう札に極端な愛着が湧くの面白かったですよね。

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実は私の妹が、高校時代に百人一首部だったんです。なんかと掛け持ちで。
それとは関係なく、なんでかうちの本棚には、小倉百人一首が3セットくらいあって。

今年の正月、観るテレビもなくて、なんかの流れで家族で遊んでみようということになって、ほとんど初めての雰囲気でやってみたときの話。
ちなみに冒頭の写真は、そのときの様子。

とっくに現役でないとはいえ、かつてランク持ちだった妹が強すぎた。
途中から下の句を読み終わるまで取ってはいけない。というルール調整など施すも、ほとんどワンサイドゲームで終わった。けどなんだか雅な気持ちで満足した。

それで、こういうことを改めて申し上げることでもないんでしょうが。
やっぱり百人一首ってよっぽどタフな遊びだなって、そのとき思ったの。

なんといっても、求められるハードルが高いでしょ。

遊び方を覚えるの自体はかんたん、30秒、というかなんなら必要ないくらい。
だってカルタ取りなんてみんな知ってるもんね。

ハードルの高さを感じるのは、何と言っても勝負に参加できるかどうかという前提条件が、遊びの前にそびえ立っているところ。

競技レベルでなくとも、勝とうとするなら100句すべてとはいわない、せめて自分で10~30句くらいは自信を持ってあらかじめ覚えないと、お話になりにくい。
それでもいい感じの勝負として成立させるためには、参加者全員が、同程度の準備を事前にこなしておかないいけない。すごくない?

もうひとつ、やってて思い出したんですけど、遊ぶためのお作法ね。
読み方。詠み方? 歌うように詠み上げる感じね。
いまとなってはねえ、スムーズに、できるんでしょうか。
でも思春期にはあの独特の、ろうろうとした感じで声を出すのは、ハードル高かったですよね。

みなさんあれの詠み上げは、平気でやれました?
私はたしかだめでした。忘れたけど。たぶんだめ。
イケてない方の中学生だったから。なんか気取っちゃって。

そんでもってこれはもう根本的なことというか、相対的なことというか。
比べるようなことをするのはほんと筋違いだとは思うんですけど。

カルタ的な遊びはとにかく、普段やっているようなボードゲームに比べてしまったら、ルール的にとにかくシンプルで、いってしまえば地味よね。逆転の要素とかがゲームの中に用意されてるわけじゃないし。
なのにフルでやると、プレイ時間が30分以上はかかる。
中盤にはおおむねの勝負は決まってるのに、まだまだ続くので、けっこう長く感じちゃうんですよね。

disってるんじゃないんですよ。
それでも長年親しまれてきたんだぞっていうのはどういうことかなって。
大人になったみんなにも、たまにはこれ、遊んでみてほしいぞって思ったの。
そしてこんなふうに渋い遊びを楽しむ、楽しめるという心持ちに、思いを馳せて欲しい。

任天堂 百人一首 舞扇

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楽しむための準備があり、作法があり、参加者全員の同意がある。
そして単純な遊びに高度な駆け引きが生まれる。
どれくらい高度になるか、楽しむかはプレイヤーの素質に依る。

よっぽど余裕あるというか、楽しむぞという気概が、プレイヤーの側にあるよね。

いかに最近の遊びに甘えているか。甘やかされてるか。
受動的に楽しませてもらってる部分の大きさを省みるのもいいことかも知れません。
そしてそれは、いまのボードゲームに相対するときの、心の余裕のなさなのかもしれません。

スノッブにならないようにならないように。
遊ぶことを自分からつまらなくしてしまわないように。
日頃から心がけてはいるつもりだけれど。

教養、とは?

百人一首のあとに最近のゲームやったら、スピード感とか複雑なシステムとかがやたらビビッドに感じられてすげえびっくりしました。すぐ慣れたけど。

 

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何を書きたかったのかは忘れた。なかよし

 

名探偵コナン 百人一首

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英語で読む百人一首 (文春文庫)

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タッチで楽しむ百人一首 DS時雨殿

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